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雑記

「女系天皇」という存在し得ない概念

 はじめに

   話題に上ることの多くなった所謂「女系天皇()」。貴方はどう思っているだろうか。

  多くの人が誤った解釈をしてしまっている。

  偽フェミニストが男女の差別に関連する問題であるかのように主張することもあるが、全くもってそのような問題ではない。

  染色体などと言ったオカルトじみた主張をする頓珍漢な人物もいるが、残念ながらそんなものは宇宙と交信することのできない一般人の我々には何の価値もない。

  我々一人ひとりが現代の「天皇」に真に求めるべきものは何だろうか。

  各々が「天皇」というものを正しく捉え、それに対してそれぞれの意見を持つために大切なのは、これまでの日本の歴史を理解し(肯定する必要は全くない)、常に変化していく時代を見極めることだ。

 

  そしてその観点から考えを進めると、「女系天皇()」はそもそも議論に値しない概念であるということが見えてくる。

 

 

 

 そもそも「女系天皇」は何を示すのか

   一部の人が強く主張する(近頃はメディアの影響もありかなり名前だけが先行しているが)「女系天皇()」とは、皇統の女性と一般の男性が結婚し子どもが産まれた時、その子どもが皇位を継承し「天皇()」となった時のその「天皇()」を指す言葉だ。

 

  注意すべきは、「女性の天皇」とは似ても似つかぬ概念だと言うことだ。

  男系の(つまり従来の)女性天皇は歴史的に少くない数が居るし、

  仮に「女系天皇()」が制度として成立したとしても、「男性の女系天皇()」が即位することは十分にあり得る。

 

  「女系天皇()」とはつまり、直系でない子ども(傍系)が天皇になる、と言い換えても良い(ただし父系が直系で母系が直系でないのは差別なのではないか、という見方も可能ではある。単純に理解を助けるための言い換えに過ぎない)。

 

  これだけを聞くと、何が悪い(少なくともそれが悪いことだと主張する人が居る)のかよくわからない人も多いだろう。

 

  だが実は、そう思った貴方はもう言葉のトリックに騙されてしまっている

 

 

 

女系天皇」を文字通りにとるならば、これを満たす人物は存在しない

  「天皇」には、その歴史が始まって以来(中国の歴史書など信憑性が高く実在を確認できる資料を参照しても2000年以上前の人物から)、男系(父系)が継承するという伝統がある。がこれは柔らかな言い方であり、もっと厳しく述べることもできる。

 

  歴史の中で、天皇が実質的な権力を持たない時代は多々あった。藤原家による摂関政治もそうであるし、近いところでは江戸時代などもまさにその例だ。

  当時は(総合的な観点からすると)今など比較にすらならないほど男性優位であった。
なのだから、わざわざ幕府や摂関政治などではなく、自分の子どもを天皇にしてしまうのが一番良かったはずだ。そうすれば自分は天皇の実の父親となることができ、強い権力を持つことができたはずだ。
  にも拘らず、そうしなかったのは何故か。理由は簡単だ。

  そうしようにもできなかったのだ。


  「天皇」と成り得る人物は、血縁によってのみその権威立場が肯定される、最初の天皇(最初にこの国を武力などで纏めあげた人 )の男系、つまり父親、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、と男性の父親のみを辿ると最初の天皇に行きつくことができる人物(男性とは限らない)でなければならないというのがそもそもの条件なのである。

  とどのつまり、本当は女系天皇に成り得る、つまり女系かつ天皇になり得るという条件に該当する人物など存在しないのだ。奇数である偶数、というのと同じくらい矛盾した概念である。

 

 

 

 そもそも何故「天皇」が現代社会で許容されるのか

  そんな男性のほうが重視されるかのような偏った概念なんて時代遅れだよ、と思うかもしれない。

  それに関しては、一概にその視点のみで議論することは難しいと思うが、少なくとも一理ある意見であると思う。

 

  だが、もう「天皇」が時代遅れだと思うのならば、もう「天皇」など必要ない、と声を上げることが大切なのだ。

  昔ならばいさ知らず、主権を国民が持つ民主主義国家日本に於いては、これは極めて自然な行動だ。

 

   そもそも現代の近代的国家に天皇などという時代遅れとも取れる制度が何故残存しているのだろうか。「天皇」こそが国家としての日本の歴史だからである。

  歴史と伝統があるからこそ、天皇が主権を持たず、国民が主権をもつようになった現代でも、なんとか現代の実状に不釣り合いにも思える制度が残存できているのだ。

 

  しかしだからと言って昔から伝わるものを何でもかんでも肯定するのが正しいとは限らない訳であって、天皇制を強く支持する人がいるのと同じく天皇制に強く反対する人がいるのは当然のことで、どちらが間違っているという問題ではないだろう。

否定するのが正しいと思う人は否定して当然な領域にある概念だろう。

  天皇制に反対する人物が非国民だなどと言うのは正鵠を失した意見だ。

  支持不支持の立場の違いは、個人の歴史解釈と現在の世界や環境への解釈の違いに基づくもので、個人の信じる正しさ、合理性そのものなのだ。

 

  しかし、だからこそ、「天皇」が現代で許容される理由を考えれば、「女系天皇()」が如何に議論する価値もないかが解るのだ。

 

 

 

 「女系天皇」論の唯一にして絶対な欠陥

  現代で、突然に、「俺は日本の王になる!」と言う人物は中々居ないだろう。小学生でも総理大臣か大統領(どこの国のかは知らないが)といった民主主義的制度に於ける頂点を望むのが関の山である。

 

  そんな中、「女系天皇 ()」などと言う、これまでの歴史に一切無い王様を新しく日本の王とする、というのが「女系天皇()」の本質だ。

  「女系天皇()」などと言うから何やら天皇と関係があるかのように思えるが、その正統性を歴史は一切保証しない。完全に従来の天皇とは無縁のものだ。伝統もなければ歴史もない。

 

  昔の日本人は、偶然女系の子孫を天皇にしてこなかったのではなく、それを避けていた。これは公然の事実である(各々調べて頂きたい。最悪中学や高校のころの教科書でも押し入れから引っぱり出してくれば明らかだろう)。

  男系の尊重という伝統は、現代社会に於いては差別ととらえることができるかもしれない。

 

  だが仮に現代に於いてそれらが差別的だったとしても、古来から紡がれてきた歴史や伝統そのものは不変である。

  時代の変化に合わせて、伝統を取捨選択することはできても、それを改竄することは不可能だ。

  何が起ろうとも女系の子孫が歴史的な意味を持つ「天皇」に就くことは定義からして不可能であり、全く新しい日本の支配者としてただ日本に君臨するのみだ。

  つまり、男系女系以前の問題で、「女系天皇()」とは、歴史も伝統も無い新しい王様に国を治めさせます(国の象徴を任せます)、と言っているのと一切相違が無い。

 

  だから「女系天皇()」を支持する人には一言こう聞いてみると良い。

  「つまり貴方は、新しい王がこの21世紀にもなって日本に必要だと思うのですか?」と。

 

 

 

おわりに

  であるから、そもそも「女系天皇()」というものは、「天皇」とは無縁な、国民にとっては歴史や伝統の観点からは完全に無意味なものなのだ。

  しかし本当に残念なことに、そのことに気がつかない人が多い。

 

  このままでは、大切に守っているつもりでいたら知らぬ間に箱の中身は無くなっていた、という事態になりかねない。

 

  箱の中身のものが必要無いと思うのならば、信念を持ち断捨離をすれば良いし、どう足掻こうとも無くなる運命のものであるのなのならばそれが失なわれる悲しみを自身、そして歴史に刻めば良い。

  けれども、その箱の中身をバレないようにこっそり取り変えるなどと言うことは、本当に意味のない行いであり、故意無自覚に関らず言語道断だ。

 

  故に、「女系天皇()」などと言うものは一時のまやかしにすら成り得ないふざけた主張なのだ。

  そんな茶番は、天皇制の存続にも、民主的で平等な社会にも、一切の貢献をしない。

  ただごまかしの内に、かつて何より尊重されていた「天皇」というものを誰にも気付かせず擦り替えさせてしまうということは、現在貴方が「天皇」を支持する立場であろうが反対する立場であろうが、致命的な行為に真に他ならない。

 

  「天皇」についての捉え方は人それぞれであると思うが、是非この主張を心に留め、とにかく議論されていることの本質を捉え違えてしまわないよう注意して頂きたい。